2016年8月12日金曜日

韓半島の城跡(9)金井山城(プサン)

平成28年3月17日(木)

プサンには巨大な山城があります。復元されたトンネ邑城祉を見た日の午後、その金井山城に登った。地下鉄1号線トンネ駅に戻り、北に向かって一つ目のトンネ温泉駅から歩いて行けます。

トンネ温泉からケーブルカーに乗れば一気に登れますが、海抜540メートルの金井山(クムジョンサン)の急斜面は容易に敵を寄せつけません。その急斜面を登った上の平坦地に1.5メートル~3メートルの石垣が何と11キロにわたり延々と続いています。

秀吉による文禄・慶長の役に懲りた朝鮮王朝が1703年に築城したもので、1807年には東、西、南、北の四カ所に門を設置している。1703年と言えば文禄・慶長の役が終わって100年以上経っているころで、「懲りた」というには時間がかかり過ぎた感じがしないでもない。しかもこのころ朝鮮王朝はすでに数回、徳川幕府へ通信使を派遣している。

南門


この頃の日本は徳川幕府による平和が延々と続いた時代に相当する。倭寇による収奪も収まり、この巨大な山城が実戦に使用されることは、当然、なかった。必要がなくなってしまったまま、次第に荒れ果てて行ったようだ。

やがて明治へと時代は変わり、韓半島に対する日本の影響が強まり、日本統治を迎える。そして日本の敗戦から韓国独立、と金井山城の周りは激しく変わった。
左右に長い案内文を真ん中で分断したものです。一行目は下の一行目に、二行目も同じように下の案内文に続きます。



石垣の手前が城内

城外に向いた石垣


その間荒れるに任せられていた城跡は、韓国が独立した後1972年より順次修復され、今は城跡を周回する13キロのウォーキングトレイルを完備した公園に姿を変えています。その後さらに生活が豊かになった韓国の『健康』志向は、見たところ、日本以上に強いようです。公園にはウォーキングに精を出す市民の姿が絶えません。

眼下にプサンの市街地を一望し、その先には玄界灘が青く横たわっている景色は雄大です。『倭寇』ははるか記憶の隅に追いやられてしまいました。




石垣に添ってほんの数キロ歩いて見ましたが、敵を寄せ付けず、戦う城というよりはむしろ「逃げ込む城」といった感じがします。高さと3メートル程度の壁以外に守ってくれるものはなさそうです。それにしても全長11キロに及ぶ石垣は、ほんとに必要だったのでしょうか。蛟龍山城も山の高さでは負けないものの、長さはわずか3キロを少々超える程度です。
周囲が11キロにも及ぶ山城って、城の機能を維持するのさえ難しそうに思えますが・・・。
どこでも考えることは同じ。良い景色には酒が…。

皆さん立派な装備が印象的でした。

金井山城に来たのは、これが2度目です。前回は残念ながら雨に降られてしまいました。その時も雨に霞む城壁を見ながら、500メートルを超す山の高さだけで充分敵は怖気づいたのではないだろうかと考え、11キロも石垣をめぐらす必要性にあれこれ頭をひねったことを思い出します。

今回は天気には恵まれましたが、時間の制約があって11キロを回る切る事は出来ませんでした。機会を作って是非一周しながら体でその距離を感じてみたいですね。一日は要るなぁ。一日掛けて歩いて見ようか?景色は良いし、麓のトンネ温泉に巨大な温泉施設もある。一日掛けて歩く価値はある。




4 件のコメント:

  1. 金井山城は1667年に統制司だった李枝馨が補修を建議したという記録がありまして、1703年以前にもすでに存在していたと考えられます。

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  2. 1703年というのは現地の案内にあったもので、おっしゃるように時間的には幅があるかも知れません。ご指摘ありがとうございます。

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